「海外生活のはじまりや!ビザの申請」

アメリカ・オレゴン州ポートランド編
サトシ
サトシ

こんにちわ。サトシです。

突然、会社からアメリカ海外単身赴任を命ぜられた英語も話せない40歳半ばの平凡なサラリーマンのはじめての海外生活の話です。

今回はビザ取得前の話や。

※2018年当時のお話です。

ビザを取得するまで、最初はホテル暮らしで60日くらい滞在して、30日間日本に帰ってとアメリカでは現場の視察やミーティング等のレベルで過ごし、日本では本社の隅っこに隠れ、古巣の営業現場の仕事をこっそり手伝い、その他は某マンツーマン英会話学校に通っていました。

しょっちゅうスーツケースを引きづって移動してました。

ホテルも時期によって高い安いがあるので、時期によっては高級マンションもエアビーアンドビーで借りられたり、時期によっては冷蔵庫すらもないホテルに泊まっていました。(予算だいたい1日90ドルくらい。)

大変なのは予算の関係上もあって、約2週間スパンでホテルを変えるたびにスーツケースに荷物を詰めてまた移動する遊牧民生活でした。

スーツケースを押している時に思う、何でこんなことをしているのだろうと。おもろいけどな。

遊牧民生活も英語ができないことで結構しんどい場面がありました。

最初はアメリカのコインランドリーの使い方やそれぞれのホテルごとに施設の使用方法が違うのでそれを英語で確認するのも大変でした。安いホテルだと害虫が出てますよという通知が来てたり(実際にアリたちとともに2週間生活してました)、まぁ色々ありましたが、ほとんど我慢して乗り切りました。

あまり気にならなかったいう見方もありますが。

日本とアメリカを行ったり来たりするときの飛行機もやばいのが何回かありました。前に書きかましたが飛行機の待つ場所が変わったというアナウンスが聞き取れなくて、もうすぐ出発時間なのに案内ないのがおかしいなと思ったら出発場所変わってたりしました。そんなこんなで私のアメリカ生活がスタートしました。

アリさんいっぱいおったで。極端な話一緒に寝とったな。
でも結局英語が一番大変やったな。

「ビザの申請」

東京の溜池山王に米国大使館があります。

大使館のまわりにはたくさんのおまわり様方がいらっしゃって、お上りさん的な私にどこに用事ですかなどと聞いてきますので、ちょっとビザなどをたしなみにと答え怪訝な顔をされながらあっちですと指をさしてくださいました。大使館でビザの取得には最初に申請書を出して(会社の弁護士さんがほとんどやってくれたのですが、ちなみに私はE1ビザという種類のビザです。)、それがよろしければ面接のアポイントを取得します。

ちゃんと覚えてへんけど、確か2回検査されたで。

当日は8時20分からの面接だったので、ティピカルな日本人として8時には大使館についていました。まず、時間ごとに並ぶ場所を指定され、館内に入る前に荷物チェックをしていただきました。

さらにもう一度荷物チェックをしていただき、(荷物は携帯とビザの申請のみを持って行った方がいいです。私はその他の荷物は溜池山王池構内のコインロッカーに預けました。ちなみにコインロッカーは何か所かあります。)

申請書を出して、確かここでパスポートも出したんだっけな?

持って行った証明写真は背景が青色だからだめと館内の写真機で背景が白のものに取り直す羽目に

無駄金や!家の近所のビザ用の証明写真機で撮ったのにな。皆さんも気を付けましょう。

気を取り直して取った写真を渡し、面接を待つことに。1時間近く待った気がします。

免許証の手続き窓口みたいなところ越しにどうやら面接をしてるっぽい模様。結構時間かかってるし、結構英語で話しとるなぁ、難しいんかなぁ?英語でしゃべれるかなぁ、気合いれなと不安がっていると私の順番に。

さて、窓口でまずハローといった後に、完全なる容姿のアメリカ人の方に、私が英語が下手なのがハローの発音で分かったのか、「アナタノ部下ハ何人デスカ?」と日本語で聞かれたので〇〇人デス。とカタコトの日本語で答えました。少し間があって、「フーン、OKデス。オワリ。」と言われました。

え、オワリ?って、面接あかんかったってことか?一応聞き返して、これで大丈夫ですかって聞きなおしたら、

「オワリデス。」と言われ、そのまま引き下がりましたが、これで大丈夫なのかという不安はビザが取得出来ましたと連絡が来るまで不安でした。後日郵送されてきたパスポートに貼り付けられたビザをみてすごく安堵したことを昨日のことのように覚えています。